大日如来像木造大日如来坐像八幡神社本殿

米倉丹後守一族の墓地

2019年4月19日市指定の文化財記念物

市指定の記念物(史跡)

  • 米倉丹後守一族の墓地(よねくらたんごのかみいちぞくのぼち)
  • 昭和43年3月28日指定
  • 所有者:蔵林寺

概要

秦野市堀山下にある蔵林寺には、江戸時代の大名米倉氏の墓所があります。現在も初代から15代までの当主一族の墓石20基、石灯籠23基、家老塚1基が残っており、当地には5代昌純と6代昌尹(まさただ)が埋葬されています(他の当主は墓石のみで埋葬は他の寺)。
 最も古いと思われる墓石は、元禄5年(1692)、昌尹が建立した初代重継※1と2代忠継の墓石です。昌尹は、祖父清継が徳川家康から賜った領地が堀山下村にあることから、同村の蔵林寺を菩提寺とし、ここに墓所を設けたとみられます。
 ※1 米倉家系図では、戦国時代、長篠の戦で戦死した重継を初代としています。

秦野市ホームページより引用

米倉氏

米倉氏は、甲斐国(山梨県)の出身で、八代郡米倉郷(笛吹市)の地名から米倉姓を名乗ったとされています。戦国時代、武川(北杜市)の国衆として甲斐武田氏に仕えていましたが、武田氏滅亡後、徳川家康に召し抱えられました。天正18年(1590)、家康の関東入国の際、米倉清継は堀山下村内に二百石の領地を賜っています。
 清継の孫の昌尹は、将軍綱吉の時代、幕府の要職を務め、元禄3年(1690)従五位下丹後守に任ぜられました。元禄9年(1696)には若年寄になり、武蔵国、上野国などに領地を賜り、旗本から一万石の大名となりました。さらに元禄12年(1699)、相模国や武蔵国、下野国などに領地を賜り、下野皆川藩一万五千石の藩主となりました。この時の秦野市内の領地は、堀山下、菩提、羽根、渋沢村などです。その後、米倉氏は陣屋を武蔵国久良岐郡(横浜市金沢区)に移し※2、金沢藩(六浦藩に改称)藩主となっています。
 ※2 この時の当主忠仰は、柳沢家からの養子で、将軍綱吉の側近であった柳沢吉保の六男です。柳沢氏も甲斐国出身で武田氏に仕えており、米倉氏とは姻戚関係を結ぶなど、甲斐在住時代から家同士の深い繋がりがあったようです。

秦野市ホームページより引用

蔵林寺

蔵林寺は室町時代の享徳年間(1452~55)に堀山下の寺屋敷に開かれ、文明年間(1469 ~87)に現在地に移りました。

甲斐国(山梨県)出身の米倉氏の祖先は、武田氏の家臣でしたが、武田家滅亡後は徳川家に仕えました。4代清継の時代に堀山下村に知行地200石を得、その孫昌尹は元禄3年(1690)に丹後守に任ぜられ、6年後に大名となりました。
蔵林寺には米倉氏初代から15代までの当主の墓と一族、家老塚があります。

米倉丹後守一族の墓地
米倉丹後守一族の墓地

アクセス

  • 所在地:堀山下1153
  • 交通:渋沢駅から大倉行きバス、蔵林寺前下車徒歩1分